私のプロフィール その①
母が英語教師だったので、小さいころから英語に親しんできました。
中学高校時代、洋楽に熱中してQueen、 Billy Joel、 Beatlesなどをよく聴いていました。
歌詞をそらで憶えたくてお風呂のなかで何度も練習して暗記し、洋楽をひとつひとつ歌えるようになるのが当時の楽しみ。
生まれと育ちが、ど田舎といってよい山の中だったこと、英語や海外や広い世界への憧れがつのったこと、田舎を出て色々な人との出逢いがある都会に出たいと思ったこと、、、などが強い動機となり
ところが、東京暮らしが始まってからは、遊ぶのが楽しくて学業の方はいつもギリギリの単位でかろうじて進級という日々(汗)。
映画研究会に入って映画を見まくっていました。英語はたいして上達しないまま就活に突入します。
本や雑誌を作ることに関心があったので、就活は出版社オンリー。
当時は出版社は人気の業界だったので、なかなか就職先が決まらない中、ひろっていただいたのが大修館書店というジーニアス英和辞典などで知られる教育関連書籍の出版社です。こちらで2年間編集者として修業させてもらいました。
その後、縁あって老舗のスピリチュアル雑誌の責任編集者を5年間務めました。2か月に一度発行のほんとうにちいさな雑誌でしたが、「媒体がある」とはありがたいことで、この仕事をつうじて、ふつうなら会うことの叶わない方たちと会うことができました。美輪明宏さん、倉本聰さん、佐治晴夫先生、中森じゅあんさん、鏡リュウジさん、吉本ばななさん、パウロ・コエーリョさんなどをはじめ、名前を知られていない方々や一緒に雑誌をつくった仲間もふくめて、この時期、すばらしい出会いに恵まれました。
雑誌作りはやり甲斐があったものの、気がつけば30代。徹夜仕事をするのもしんどいなあという年齢にさしかかり、いったん田舎にもどって仕切り直しをしようと決意し、福岡に帰郷。
ちょうどそんなとき、ホメオパシーの第一人者、由井寅子先生と、代替医療の分野で中心的なお仕事をされていた上野圭一先生から
「英語ができるのなら、翻訳をやってみる?」と言っていただき、ホメオパシーの教科書であるマテリア・メディカの下訳、そして『セラピューティックタッチの技法』(春秋社)、『レイキ完全本』(BABジャパン)などの翻訳を福岡の実家で仕上げることになります。